宮田 実 先生

 日夜、想像を絶する程、すさまじい練習をされていた拓殖大学時代。後年、「宮田の前に宮田なし。宮田の後に宮田なし」と語りつがれることになる。
 日本空手協会九州連合会の発足から、後輩の指導に常にひたむきな情熱と、あたたかいまなざしを注がれた。
 いついかなる時も自然体で、私心のない人柄は、まさに「拳禅一如」。
 空手道を極めた先生の風格を、出会いのあった人々に感じさせた。

【経歴】
大正 5 (1916)年 熊本県人吉市田町にて生まれる。
昭和 9 (1934)年 拓殖大学、専門部入学。空手道部入部。船越義珍先生、船越義豪先生より指導を受く。
昭和30(1955)年 久留米大学商学部、空手道部師範就任。
昭和33(1958)年 矢吹尚文氏と共に奔走し、福岡県神舎庁講堂に九州連合会、本部道場を設置する。
昭和39(1964)年 東福岡警察道場の払い下げを受け移転。空手協会の専属道場及び九州連合事務局として活用される(箱崎道場)。
昭和51年3月   (社)日本空手協会より九段位が授与される。
昭和51年4月     60才で逝去される。
昭和51年5月   (社)日本空手協会より協会葬が行われる。
 資料:「拳禅一如 宮田実の空手道」

福岡道場

 箱崎道場(旧福岡道場)が地下鉄敷設用地に当り、立退きを命ぜられ、他に移転することになる。
 筥崎宮田村克喜宮司のご尽力、ご配慮に依り宮地内、東福岡警察署の隣に広大な敷地をご貸与願い、新道場建設にかかる。施工は白水工務店、設計は九芸工大空手部出身構設計の大庭氏の無料奉仕による。
 昭和57年4月完成。総てを完備した理想的な空手道場で、簡にして崇、柔にして剛、環境は元寇の歴史にふるく福博一の宮たる筥崎宮の宮地内、正に無双の道場である。
 道場の玄関に掲げた「神武館」の大標板は、故中山首席師範の筆になる。
 道場を守る阪井龍介師範は、宮田先生が久留米大学で最初から手を取って指導された、愛弟子で先生の衣鉢をつぐに最も相応しく、福岡道場の興望を一身に集め、指導に専念しておられる。
 資料:「第8回全国空手道選抜選手権大会 パンフレット 昭和62年」
(社)日本空手協会九州連合会30年のあゆみ

福岡道場(福岡市東区馬出4丁目10-248-1)